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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

山崎正友とオウム真理教

 『誑し屋 山崎正友の虚言商法』(佐倉敏明著)より抜粋。
 オウム真理教は、自分たちの行なった「仮谷さん監禁致死事件」を学会のせいにするため、反創価学会活動家の男に「偽証」を頼んでいた。 その偽証依頼した男を教団公認会計士・柴田俊郎に紹介したのが、(柴田自身の発言によれば)山崎正友であるという。
 また、さらに柴田は「山崎は、オウムの林、中川とも会っている」とも述べたという。
 学会の施設に「サリン迫撃弾」を撃ち込もうとして失敗したオウム真理教。 「松本サリン事件」も、もともと学会を狙ったテロ計画の一環だったとも噂されている。
 史上稀に見る凶悪事件を起こしたオウム真理教と、反創価学会活動家がどこまで結びついていたのか、謎は深い。

オウム真理教との接触疑惑も
 坂本堤弁護士一家殺人事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、公証役場事務長監禁致死事件等々、およそ日本人の域を超えるオウム真理教の犯罪――その全貌は今、法廷で次第に明らかにされつつある。その残虐さといい規模といい、まさに古今未曽有といってもよい犯罪集団だが、そのオウム真理教をめぐって衝撃的な疑惑が発覚している。それはほかでもない。山崎正友が、オウム関係者と密接な関係にあったというのである。オウムと山崎――その間に、いったいどんな関係が結ばれていたのだろうか。

「学会の仕業だと世間に説明してほしい」

写真 「学会の仕業だと世間に説明してほしい」との偽証依頼されていたことを報道した「産経新聞」(平成7年10月10日付)

 ここに『産経新聞』一九九五年十月十日付朝刊の記事がある。かの目黒公証役場事務長・仮谷清志さん拉致監禁事件について、オウム側が画策した、事件の隠蔽工作に関する記事である。
 「オウム真理教による国土利用計画法違反に絡み、偽証事件で逮捕された緊急対策本部長の上祐史浩容疑者(三二)らが二月末の公証役場事務長監禁致死事件後、教団関与を隠すため、反創価学会活動を展開する関係の男性に『学会の仕業だと世間に説明してほしい』と偽証を頼んでいたことが、九日までの警視庁などの調べで分かった」
 仮谷さんの拉致事件について、オウム側が早い時期から「学会の仕業」云々と大ウソを並べ立てていたのは周知の通りである。しかも上祐らは、その大ウソの「裏書き」を、「反創価学会活動を展開する関係の男性に」に依頼していたというのである。
 社会面のトップに掲げられた、この記事。以下、ことの詳細な解説が続く。
 「偽証事件の共犯で教団公認会計士の柴田俊郎容疑者(四七)は三月中旬、反創価学会活動に取り組む関係者の男性に『学会のことについて聞きたい』と連絡した。柴田容疑者は関係者に会うと二月二十八日に数人のグループに拉致された目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(六八)=について『犯行は学会だと思う』と話した」「三月下旬、上祐容疑者からも『四月三日の記者会見に同席して、学会との関係について話してほしい』と電話があった」
 ここで上祐のいう「四月三日の記者会見」とは、この日に行なわれた日本外国特派員協会主催の記者会見のことと思われる。この席で上祐は「仮谷さん事件は学会の仕業」等と発言。しかも会見の場に元学会員であるという男まで同席させた上で、「学会が良く使う手口です」などと発言させるという念の入れようだったのである。何とか学会の仕業に見せかけたいと、わざわざ日本外国特派員協会での記者会見までセットして行なったオウムの隠蔽工作だったが、あまりの荒唐無稽さに世間は一笑。当時、オウム一色で塗りつぶされた観のあるマスコミも、まともに取り上げた媒体は、ほとんどなかった。結局とのところ、上祐らの目論みは見事にはずれたばかりか、かえってオウムに対する社会の疑惑の目を深めただけに終わったである。

「山崎はオウムの林、中川とも会っている」

しかし――ことは、これだけにとどまらなかった。くだんの「反創価学会活動を展開する関係の男性」が教団公認会計士の柴田と接触した際、柴田の口から意外な真相が明らかにされたというのである。というのも柴田は、この都市の三月中旬、その男性に、「学会の内情を聞きたい」と話を持ちかけたという。だが、その男性にしてみれば、世間を騒がすオウムの関係者が、なぜ自分をしっているのか。なぜ自分を名指しで「話を聞きたい」と言ってきたのか気がかりなところ・そこで「誰を通じて自分を知ったのか」と問いただしたところ、柴田は言ったという。
 山崎正友さんに紹介されたんです」
 さらにその際、柴田は、こうも漏らしていたという。「山崎は、オウムの林、中川とも会っている」と。
 「中川」といえば、遠藤誠一とともに、地下鉄サリン事件で使用したサリンを実際に作ったとされる中川智正が考えられる。一方、「林」といえば、元エリート医師の林郁夫、また、地下鉄サリン事件の実行犯として逮捕された林泰男などが思い浮かぶ。いずれにしても、オウムの「裏の顔」を代表する「武闘派」である可能性が極めて濃い。

オウム事件を使って学会批判を煽る
 柴田が、この男性と接触したという一九九五年の三月以降、マスコミには、オウム真理教と学会を同一視するかのような記事が数多く流布された。そして、そのうちの多くが、内藤国夫、乙骨正生、段勲、溝口敦など、反学会のライターの手で書かれていた。いうまでもなく、それらは山崎とも関わりの深い輩である。
 また、この年の夏以降に急速に浮上してきた宗教法人法の改変問題では、「オウム真理教事件の再発防止のため」という大義名分が、改変を推進する勢力によって煽り立てられた。この改変問題で山崎が暗躍していたことも、前述の通りである。さらに、この年の十月から前述の「民主政治を考える会(=代表・内藤国夫、経理・山崎正友)」によって配布されはじめた学会中傷ビラ第一弾には、こうあった。「オウムよりも恐ろしい! 新進党の皮をかぶった創価学会」。この「民主政治を考える会」もまた、山崎が裏で操っていた団体であることは明白である。
 要するに、この年、さまざまな機会をとらえては、ことさらオウムと学会を二重写しにさせるというイメージ戦略が展開されていったのである。そして、そのいずれの局面にも、山崎が深く関わっていたのである。そうした状況のなかで、ほかならぬ山崎自身がオウムの関係者、しかも名だたる「武闘派」の面々とも密かに会っていたという――事実とすれば山崎は、そこでいったい何を話し合い、何を企んでいたのだろうか。

オウムにより学会襲撃計画との関連も?

 またオウム真理教は、その数々の犯罪行為の罪を学会になすりつけようと図っていたばかりではない。学会施設にサリン迫撃弾を撃ち込もうと図るなど、早い時期から学会に対する具体的な攻撃計画を巡らせていたことは、既に伝えられている通りである。
 一説には、松本サリン事件で使われたサリンも、もともと学会を狙ったテロ計画で使用するはずだったものではないか、ともささやかれている。うがっていえば、そうした学会への数々の陰謀が、またったくの「予備知識」なしで行なわれたとは考えにくい。学会の内部事情や実際の攻撃手順について、よほど有力な情報源なり、「手引き」する人物がいなければ、いかにオウムといえども、そうそうやすやすと手はくだせないはずであった。
 やはり当時、オウムに「入れ知恵」していた人間がいたのではないか。オウムの陰謀を裏でサポートする人間がいたのではないか――そう考えるのが普通であろう。
 オウムの一連の動き。「オウム武闘派」との接触疑惑が取りざたされる山崎。この二つは、いったい、どんな線で結ばれるのだろうか。接触疑惑が発覚して二年あまり。闇は深まるばかりである。


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